私がSNSをやめたワケ|SNSを絶って見えてきたもの

暮らし

最近、SNSを見るたびにモヤモヤしたり、気持ちが沈むことはありませんか?
友達の楽しそうな投稿や、知らない誰かのキラキラした日常。見たくないのにタイムラインに流れてきて、気づけば「私って何してるんだろう」とため息をついている。そんな瞬間、ありませんか。

私自身、長いあいだSNSを日常的に使っていました。けれど、ある時からふと「心が落ち着かない」ことに気づきました。見れば見るほど気分が乱れる。モヤモヤする。

自分が遅れをとっている、

いっそやめてみようと、思い切って個人のSNSをすべて手放したのです。

この記事では筆者の経験を踏まえ、モヤモヤのわけ、SNSアカウント見直しポイント、SNSを絶って見えてきたものを解説したいと思います。

SNSでモヤモヤする理由

SNS疲れの正体は、情報そのものではなく「比較」から陥る負の連鎖だと思います。

SNSを見る▶︎ 他人と比較する▶︎劣等感を感じる▶︎自己肯定感が下がる▶︎そんな自分に嫌気がし自己嫌悪

この負のループに、私もどっぷりハマっていました。何気なく開いたSNSの中で、誰かの新居、結婚、旅行、出産、成功報告を見ては「私も何かしなきゃ」と焦る。でも、実際にはそれは“他人の物語”であり、私の人生とは関係がないはずなのです。

それでも比べてしまうのが人間の性。気づけば、心がどんどん疲弊していきました。

SNSを手放して見えてきたもの

私は一度、個人名のアカウントをすべて非公開にし、更新も停止、SNSを見ないよう、デジタルデトックスをしました。友達のタイムラインを見ない生活を始めてみたのです。

最初の数日は落ち着かない気分でした。「みんな何してるんだろう」「自分だけ取り残されるのでは?」という不安もありました。でも、一週間ほど経つと、そんなことは忘れ、今自分がやりたいことに集中することができ、自分軸で物事を考えることができるようになり、不思議なほど心が静かになりましたし、「本当に欲しいもの」、「本当に繋がりたい人」、「本当にやりたい事」が見えてくるようになりました。

朝起きて他人の投稿を見ないことで、自分の一日が純粋に“自分のもの”として感じられる。小さなことですが、それは思っていた以上の解放感でした。

Instagramのアルゴリズムが意図的に「比較」させている

SNSの中でも、特にInstagramは“比較の温床”になりやすいと感じます。
2025年現在のInstagramでは、単一のアルゴリズムではなく、フィード・リール・ストーリー・発見タブなど、それぞれに異なるランキング要素が存在します。
「いいね」の数だけでなく、保存(saves)・共有(shares)・コメント・視聴時間・閲覧関係の深さなどが評価され、投稿がどれだけ“滞在時間を生み出すか”が重要視されているのです。(参考:How the Instagram Algorithm Works in 2025 (and How to Make It Work for You)

つまり、投稿が多く見られるかどうかは、必ずしも“良い内容”や“本音の発信”ではなく、「どれだけ人の関心を引けるか」「どれだけ長く見てもらえるか」という要素で決まります。
この仕組みの中で発信するほど、知らず知らず「もっと見られるように」と意識が傾きやすくなり、比較と承認欲求のループに入り込んでしまうのです。

私もかつて、いいねの数やストーリーの閲覧数に一喜一憂していました。
けれど今振り返ると、それは「誰かに認められたい」よりも、「アルゴリズムに評価されたい」という感情に近かったのかもしれません。

SNSの本来の役割を見直す

SNSをやめて初めて気づいたのは、「使い方次第で、心の健康は変わる」ということです。そしてSNSを断つ期間を経てSNSの見直しを行いました。
そもそもSNSには、次のような役割がると思います。

役割内容見直しポイント
情報・学びの場専門家の発信やニュースを追える有益な発信者だけをフォローする
つながりの場友人や同じ趣味の人と交流できるLINEで十分。Facebookはメッセージ機能のみ、投稿は見ない。
本当に必要な人だけに絞る。気持ちがモヤモヤする投稿はミュート。
自己表現・記録の場日常や趣味を発信する不特定多数ではなく、限定的な場所で楽しむ。もしくは自己表現用のアカウントを別に作成。

SNSを完全に否定するつもりはありません。実際、仕事や情報収集にはとても便利なツールです。

実際、情報・学びの場としてのアカウント、
ただし、「なんとなく見る」時間が増えると、私が陥った負のループにハマり、気づかぬうちに“情報に消費される側”になってしまいます。


SNSを味方につけるという考え方

SNSをやめたあと、私はブログの集客用としてSNS「発信」を再開しました。そのときに意識したのは、受け身ではなく、主体的に使うことです。

個人アカウントでは“承認欲求”が先に立ちますが、発信者として使うと目的が変わります。誰かに見せるためではなく、「伝えたいことを整理するため」に使う。また情報の発信者として、情報を「受け取る」だけでなく、「選んで発信する」。
そうした意識の違いが、SNSとの付き合い方を健康的なものに変えてくれました。

おひとり様として暮らす私にとって、知り合いと「つながらない自由」は思っていた以上に心地いいものでした。
SNSで誰かと常に比べるより、自分のペースで日々を感じる。そんな暮らしが、今の私にはしっくりきています。


結論:SNSを手放すと、自分の輪郭が見えてくる

SNSをやめてみて実感したのは、「比べないこと」の大切さです。
SNS上の誰かと比べるのをやめると、自分の本当に大切にしたい価値観、人、もの、小さな幸せや日常の豊かさに気づけるようになります。それは決して華やかではないけれど、気づけたことが重要で、穏やかに日々を主体的に生きている感覚を取り戻すことができます。

SNSを完全にやめる必要はありません。けれど、「今の自分にとってどんな距離が心地いいのか」を一度見直してみることは、誰にとっても有意義だと思います。

SNSとの関係をリセットすることで、あなた自身の“輪郭”が少しずつ見えてくるはずです。

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